1535年に行われた3次方程式の解法に関する数学の試合において, タルタリア(Nicclo Tartaglia) という数学者が完全勝利を収めました. その噂を聞きつけたカルダノという数学者が, 3次方程式の解法教えてほしいとタルタリアに懇願しました. 最初のうちは拒否をしていたタルタリアでしたが, カルダノの絶対に公表しないという約束を信じ, その解法を伝授したのでした.これが1539年頃のことと言われています.
しかし,カルダノは1545年に自身の数学書「大なる術」において, 3次方程式の解法を公表してしまうのでした. これにタルタリアは激怒し, カルダノに数学の試合を申し込みましたが, その試合にカルダノは参加せず, 代わりに弟子のフェラリ(Ludovico Ferrari)が参加したのでした. フェラリ自身も4次方程式の解法 を発見するほどの天才数学者でしたので, タルタリアはフェラリに敗れてしまうのでした.
タルタリアからカルダノに伝えられた次の問題を考察する.
また,その後で,一般的の解法についても紹介する. 3次方程式の解法を完全に一般化したのはカルダノであるが, その主要部分のアイデアはタルタリアによるものである. 現在では,この3次方程式の解法は,カルダノの解法と呼ばれることが多いが, タルタリアに敬意を表して,タルタリア・カルダノの解法と言われることもある.
この記事は, [上垣2006] を参考にさせていただいています.